1982年〜
北海道ツーリングにおける
荷物の積載の変化について



1982年 夏  XL−125R

スポーツバック2個を自転車用ヒモでグルグル巻きで固定するという自転車の延長だった。

バイクツーリング駆け出しの頃でした。バイク用品など持ってなかったので、手持ちのものを利用して、とにかく積むことを考えたと思います。キャンプ道具は積載せず宿泊は全てユースホステル(YH)でした。9月だったので寒さ対策のトレーナーなどの着替えがかさばった可能性がありそうです。



※)1983年は就職の年のため北海道はお休み
1984年 夏 CBX−750F

バイクは大型免許を取得し84年3月に導入したばかりのCBX−750F。バイクは進化したが中身はさっぱり進化していない。82年同様スポーツバック2個を自転車用ヒモでグルグル巻きで固定した。タンクバックを装備し地図が見やすくなった。テントはモンベルムーンライトT型、好日山荘製の3シーズンシュラフ、空気マットを持っていった。バッグは82年と大してかわらないのによく入ったものだ。空気マットは海で浮き袋代わりに使った。便利だと思ったが、その夜、中の気室を隔てる壁の接着が取れて実質使用不能になった。
キャンプとYH併用。

1985年 夏 CBX−750F

HONDA純正アクセサリの振り分けバックを購入。シートにはスポーツバッグ1個を乗せ、自転車用ではないゴムで固定。タンクバック使用。
振り分けバッグはソフトで型崩れが結構あるし、荷物の出し入れも便利では無かった。防水は専用カバーが付属していた。そのままでも防水性は悪くなかったが、突然の雨対策のため大きなビニール袋に荷物を入れ、それをバッグの中に入れていた。振り分けバッグにより積載量は結構増えたと思います。テントとシュラフは昨年と同じ。マットは銀マットにしたと思いますが、写真が残っておらず不明。スポーツバッグの中に入れているのかもしれない。キャンプとYH併用。
1986年 春 CBX−750F

ゴールデンウィークに東北ツーリングに行った帰りに北上して北海道入りし、小樽より帰った。春はまだ寒くキャンプはしないため、振り分けバッグ+タンクバッグのみの装備。意外とシンプルで良いかもしれない。



※)86年は夏期に研修が入り北海道には行けず
1987年 夏 CBX−750F

85年より進化せずだが、銀マットを外に出して容量をかせぐ方式に変更したと思われる。テントとシュラフは84年と同様。記録によると1泊のみキャンプであとはYHだった。
1988年 夏 CBX−750F

82年以来使用していたスポーツバッグを廃止、大きなバッグにしている。これは87年冬に買った四輪のゴムチェーンを収納するバッグ(オートバックス製)。マットは後ろに2個装着している。88年は全行程、大学同期のT見氏と同行したのだが、彼のバイクの積載量に問題があったためT見氏のマットも積んでいる。テントはT見氏のものに2人で泊まった。記録と記憶に無いが、荷物の様子からするとテントも私が積んだ可能性が高い。
キャンプ場とYH併用。



89年−02年は大阪から香川へと転居のためお休み
1993年 夏 CBR−1000F

四国からでも高速道路を新潟まで走れば北海道ツーリングが可能と気づき、93年5月に導入したばかりのCBR−1000Fで北海道再デビューを果たした。この年は6連休で道内3日という強行軍だった。積載方法については88年を踏襲。リアのバッグは黒いものに変更。やはり大きなモノを利用している。テントは、ホームセンターで売っていた3980円の安物の大きなテントに変更。(広いが風や雨に弱かった…が安いので放棄も容易なので安心。収納で長さが短くならないのが難点)シュラフ、マットは変更なし。全てテント泊。
1994年 夏 CBR−1000F

93年より変化なし。
1泊ツーリングトレインだったが残りはテント泊。YHが減り、雨以外はキャンプという現在の宿泊スタイルの基本になってきたと思われる。装備としてHi−8ビデオカメラを導入(おかげでスチル写真が減って、今頃困っている)。充電は別売りであった車用のDC(12V)充電器をバッテリーにつないで使用していた。
1995年 夏 CBR−1000F

振り分けバッグの未使用が目立っている。現在まで30年以上の中で1回のみ。薄型の箱の上にツーリング用のバッグ(記憶ではタナックス製 HONDAマークは勝手に貼り付けた偽物 CD50のタンク用立体エンブレム)を乗せた。固定はツーリングネット。長く大きいテントは箱の後方タンデム用クラブバーに固定。箱とバッグの間を利用して椅子を積載し、それを利用して銀マットを積んでいる。一見まとまりが良いが、シートが柔らかい上にツーリングネットがゴムなので固定がガッチリせず左右に微妙にゆらぐのが大問題。落ちることはないのだが、車体が傾くと荷物が一瞬ゆらいで不自然な左右の揺れが起こりとても怖かったため一年で廃止にした。タンクバックもタナックス製の大きなものにしたが、これも一年で廃止。シュラフやマットは変化なし。全てテント泊。
1996年 夏 CBR−1000F

昨年の反省から荷物は振り分け式に戻した。確かこれもタナックス製だったと思う。容量的にはあまり入らないのが難点。シートの上のバッグは、容量の大きな箱になった。これが第四の箱の原型にあたる思います。ただし、固定はシートの上に直接置いてツーリングネットで固定。途中の開け閉めは事実上無理だったと思われる。手作りの北海道マークはこのときから既に貼っていたので20年以上変わってないかも。
装備面では、SONYのコロンブス(SANYOのゴリラ相当)というCDを使ったナビゲーションを導入した。専用のタンクバッグ(折りたたみ式のサンシェード付きでコレが絶大な威力発揮)に入れて使用していた。当時はまだ車ですらナビが普及していない時代だったので大いに珍しがられた。
テントはホームセンターの安物テントを廃しダンロップ製のテントに変更した。短くなったので箱に入ったと思われる。このテントは2度のシームテープ修理を自分でして2023年現在まだ使用中。(物持ち良過ぎかも)。
全てテント泊。
1997年 夏 XL−Dgree(250)

7月初旬からお盆過ぎまで約40日滞在した。一夏北海道に住んだという感じの年だった。昨年と同じ振り分けバッグ、リアキャリア上にバッグを載せ、その前部のシート上にテントとダンロップのエアマットを乗せてツーリングネットで固定した。バッグは安定を良くするために中に木の板を敷いて底面をまっすぐにして使用した。40日間ほぼテントでの長期宿泊に耐えた装備だが、あまり格好は良くないと思っている。携帯電話movaをこの年より使用開始。キャンプなので携帯とビデオの充電が問題になるためそれぞれ専用の車用DC(12V用)充電器を購入し走行しながら充電した。(ツーリングネット内で機器を固定していたはず)。通信機器としてザウルスを使用。モデム内蔵だったのでグレーの公衆電話を利用してパソコン通信でメールしていた(電源は単四乾電池)。携帯での通信は不可。iモードすら無い時期なので携帯メールも無く、天気予報も見ることができなかった。テントは引き続きダンロップ。シュラフはモンベルの夏用ウルトラライトにて小型化した。マットはダンロップのエア式を導入した。当時はまだ大きかったが、その分寝心地は銀マットとは全く違い、心地よい睡眠がとれ、翌日に疲れを残さないで長期の滞在が可能になったと考えている。(銀マットだと朝起きると体が痛い…)
1998年 夏 CBR−1000F

ついにパニアケースの登場。高かった(多分13万円くらい)が奮発して良かた…というか、もっと早く買っとけよの気分だった。見栄えも良く、雨の心配が全くなく、安定して簡単に積めるというのが利点。盗難の面からも有利。
9月に行ったのでシュラフは84年以来の3シーズン用。マットはダンロップのエア式が大きいので諦めて、従来型の空気マット式を購入して使用したが…やっぱりこりゃ駄目だと実感した。シートの上にカメラ類が入るウエストバッグを乗せて使用。この年からビデオカメラをDV(デジタル式)に変更。充電は専用のDC(12V)充電器を利用していた。記憶は無いが、パニアにはケーブルが引き込めないので、シート上のウエストバッグ内で充電していたと思われる。通信はザウルス(グレー電話でのモデム使用)および同型のdocomo仕様のモバイルZ(mova使用)の併用だった。通信がどこでもできるようになった画期的な年。


※)1999年は新婚旅行で北海道に行ったためバイクでは北海道に行ってません。
2000年 夏 CBR−1000F

基本的には98年と同様だが、ダンロップのエア式マットをシートの上に積んでいる。シュラフはモンベルの夏用ウルトラライトを使用。
通信機器はモバイルギア(初代白黒版、乾電池駆動)を使用。通信はmovaを使用。
ナビはSONYのコロンブスよりサンヨーのCD式のゴリラに変更。
2001年 夏 CBR−1000F

初代エア式のマットが壊れて買い換えた。二つ折れ式になってコンパクトになったのでパニアケースの中に入るようになり、1998年仕様に戻った。シートの上はウエストバッグのみ。この年よりカメラがデジカメになる。デジカメで画像がフィルム時代より撮れるようになったためかビデオの使用率が減り、この年を最後にビデオは持っていかなくなる。通信機器はモバイルギアだがカラーになる(充電式のため要充電)。携帯はmovaのiモード機を導入した。画面がカラーになり天気予報やメールもiモードで可能となり利便性向上。
なお、デジカメではあるが当時はメモリが高価で大容量が買えなかった。勤務先の北見店に転がり込み、会社のPCとドライブを使い、データをMOディスクにコピーさせてもらって容量を確保した。店には必ずMOドライブを装備している会社だったので出来る技。
2002年 夏 CBR−1000F

エアマットがパニアの中に入ると、他の荷物が積めなくなる。一番大きなテントをシートの上にツーリングネットで固定して容量を稼ぐ。が、せっかくのパニアのスマート感がこれで台無しになる。この年よりカウル内部にインバーターを搭載。シート下よりAC100Vが取れるようになり自由度が上がるが、パニアケースの中に引き込めないためツーリングネットで固定しての充電となる。これもスマート感が無い。
2003年 夏 CBR−1000F

ついに第四の箱が登場する。アイリスオーヤマのRVBOX400で、安いときは980円で手に入る。昨年の反省を元にツーリングネットを廃し、ベルトによりシートに固定する方法を採用。普段の蓋の開け閉めが容易になり、地図などを入れて利用した。テントもここに入れ、キャンプ時にはこの箱だけを運んでとりあえずのテント設営が可能になるし、テントだけを降ろすのも容易で、全体の荷姿が変わらず空きスペースを利用して買い出しに行った時も持ち帰りが楽になった。また、キャンプ時の椅子にもなるので椅子も持っていかなくなった。雨の心配もなく、現在まで続く原型となる。AC100Vを箱内部に引き込み、普通の充電器が何でも使えるようになり利便性がupした。この年よりデジタル一眼レフを使用するようになりビデオを廃止する。また、デジカメデータバックアップのためと通信のためのモバイルノートパソコンを中古で手に入れた(VAIO C1)。デジタル一眼レフの採用のため撮影用に、一脚を持っていくことになり、左側のパニアケースの上側に両面テープで金具を取り付け、一脚をベルトで固定していた。音楽はCD利用のMP3プレーヤーを使用。それまではカセットテープ式ウオークマン、MDウオークマンを利用していたはず…(記憶による) また、通信もFOMA登場。当時はエリアが少なかったので切り替えながらmovaも使用していた。ケータイを使いパソコンでのデジタル通信が可能になった。(movaは9.6k FOMAは64kbps)この年はいろいろ革新の年だった。
2004年 夏 CBR−1000F

第四の箱の威力は絶大であったが、カラーリングの問題があり、スプレー缶で黒く塗り、CBR750Fのステッカーを貼ってそれらしく仕上げた。塗装は失敗だった。定着をよくするサフェイサーを塗らなかったため、ボロボロと黒い塗装が禿げてきてみっともなかった…。装備面では特に変更は無い。音楽プレーヤーはメモリ式(おそらく256MB)で単四電池1本で稼働する超小型のものにした記憶がある。当時は走りながら聞くことは無かった。
2005年 夏 CBR−1000F

装備面では特に変更が無いが、一脚に替わり三脚を搭載。この三脚は今も使用している。スタイルがほぼ安定した。デジタル一眼をEOS-20Dに更新。
2006年 夏 CBR−1000F

変更無し。
2007年 夏 CBR−1000F

変更無し。
何の気の迷いか、2007年と08年のみデジタルハイビジョン(当時なのでDVビデオテープ、しかもフルハイビジョンではない)ビデオカメラを持って行っている。
2008年 夏 1400GTR

15年活躍したCBR−1000Fを廃艦処分し、1400GTRを導入したがスタイルとしては全く変わっていない。第四の箱はそのまま流用したが、これを機会に再塗装した。サフェイサーを塗ったので色の乗りが良く、10年使っても剥がれていない。ステッカーを貼りカワサキ仕様に。リアシートの形状が丸く安定しないため、発泡スチロールで整形したザブトンを敷いて安定させた。ナビはメモリ式のSONY NAV−U2に変更。テント、シュラフなどに変更は無い。以前の方法で三脚が積めなくなったので積んでいない。
2009年 夏 1400GTR

特に変更が無いのだが、第四の箱の蓋を黒くした。色的にはこちらが良いような気がする。昨年、本体は再塗装したのだが、それをあざ笑うかのようにメーカーから黒が発売になり、しかも880円で売っていたので買ってしまった。塗装したものにはステッカーを貼っていたので蓋だけ利用し、本体はそのまま従来の塗装品を使っている(2017年現在も健在)。 この年からデジタル一眼をフルサイズに変更。
2010年 夏 1400GTR

フルサイズデジタル一眼レフを採用したことにより、やはり三脚が必要ということで第四の箱とトップケースの隙間を利用することにした。第四の箱の後ろ側に金具を取り付け三脚が固定できるようにした。デジカメに防水タイプも併用して持っていくことにした。(初代はオリンパスμ6010)。ナビをゴリラに変更。その他の装備に変更無し。
2011年 夏 1400GTR


パソコンをVAIO C1よりEPSONのネットブックに変更。


※)2012年は家族と北海道に行ったのでバイクでは行ってません。
2013年 夏 1400GTR

知人よりギャラクシーSをもらい、音声通話はできないスマホもどきとして持っていく。テザリングが不能だったのでモバイルルーターも持参しSIMを差し替えて使た。スマホもどきは雨雲レーダーの便利さにハマってしまった。キャンプ場でもPCを使ったフル環境で高速(&低価格)通信できるのは画期的だった。FOMAだと低速で時間当たりの従量制だった。
ナビをカロッツェリア楽ナビポータブルに変更。
2014年 夏 1400GTR

スマホもどきをNexus5に変更。テザリングも可能になった。ネットブックと共に利用。

2015年年 夏 1400GTR

変更無し。
2016年 夏 1400GTR


デジタル一眼レフの撮影が減ったので三脚に替えて、あぐら椅子を持っていく。他は特に変更無し。
2017年 春 1400GTR

Nexu5スマホもどきに替えタブレットMediaPad M3を持って行くことにした。とても快適でPCすら不要では?と思うようになった。
その他装備、テントやマットに変更無し。シュラフは冬用をダウンシュラフを使用。


※)2017年 夏は娘とタンデムしたので第四の箱は積んでいない。
ネットブックは持っていかず、タブレット+キーボードで運用。通信からデジカメデータのバックアップまで快適にこなしてくれた。
2018年 夏 1400GTR

第四の箱を2017年夏のツーリングで出会ったGTRオナクラの方が使っていたアイリスの箱をマネっこした。箱自身は重いが積載量も格段にUPしたし、なによりフタの上のフラット面に厚さ5cmのマットと座椅子を積載できたので他の箱もかなり余裕ができた。史上最大の積載量かも。箱にフラッグが付けられるのもポイント高し。電子装備としては引き続きノートパソコンは廃止してタブレットによる運用を継続。ハンドルにスマホホルダーを装着してスマホ(雨雲レーダー専用(笑))を装着開始。スマホもNexus5からAquos sens Plus(SH-07M)に変更。
2019年 春 1400GTR

昨年同様に大型化した第四の箱を装着。買い出し時には両サイドに装着したカラビナをコンビニフックとして使いテントサイトまで運搬に利用。
GoPro HERO7での動画撮影を行う。

※)2019年 夏は娘とタンデムしたので第四の箱は積んでいない。

※)2020年 コロナ爆延につき渡道断念(T_T)
2021年 1400GTR

カメラ構成を変更。一眼レフを廃止しミラーレス(α7c)を中心に運用開始。三脚を廃止し、マットも通常サイズにしたので第四の箱の上を利用しないスッキリとした姿となった。緊急時には積めるように用意したが使用することはなかった。通信装備に変更無し。動画撮影は廃止。
2022年 春 N−VAN + CT-125

史上初、N−VANにCT−125を積載して行く。基本的にN−VANを置いたキャンプ場などからの日帰りになるため、アイリスのホームセンター箱1個で十分事足りるようになる。カメラや通信設備などに変更無し。
2023年 春 CT−125

N−VANを使わず、全行程CT−125での北海道通常ツーリング。カブでロングツーリングを行う人は、これでもかというくらい巨大な荷物を積載することが多いと思う。見た感じ旅人ロマンを感じるのは確か。だが、軽くて非力なバイクのリアに重い荷物を積むと走らなくなるのと、せっかくの身軽さが台無しになることに気づく。できるだけ最低限の装備にして1982年の最初のツーリング再現に挑む。まだ寒い時期なので服がかさばったこともあり、寝間着(ジャージ)や水筒なども積めずに諦めた。GTRに使っていた第四の箱に加えて、95年にCBR−1000Fで使ったコンテナボックスを利用し、テントとマット、寝袋を入れてキャンプ装備とした。キャンプを全廃すればコレも減らせるが万が一を考えて積載した。おかげでリア荷重が結構重かった。
2023年 夏 N−VAN + CT−125

再度、N−VANに積載しての渡道。荷物は2022年同様、日帰りが基本になるのでホムセン箱1と身軽。カメラと通信装備は変化無し。