羊蹄丸解体の様子 毎週の定点観測より 2012.09-2013.04
青函トンネルができる前、国鉄で青森と函館をむすぶのは青函連絡船であった。。瀬戸大橋ができたため廃止になった宇高
連絡船同様、青函連絡船も廃止になってしまった。その後、東京の船の科学館でフローティングパビリオンとして生き延びて
いた青函連絡船の羊蹄丸が、ど〜いうわけか廃艦処分になってしまったのだ。
その後の引き取り手を探していたようだが、船の解体研究用にと新居浜の業者に引き渡され、新居浜にて数ヶ月展示された後、
香川県多度津の宮地サルベージにて解体されることになってしまった。
私も5月26日、新居浜での最後の公開を娘達を連れて見学に行った。解体されるとは信じられないほどのキレイな船体だった。
2012年の渡道から帰った9月2日、たまたま浜街道を走っていて羊蹄丸に再会してしまった。多少、解体準備はされて傷ついてるも
のの、まだその姿は健在であり、再び出会えたことを喜んでしまった。が、翌週また見に行ってみると、いきなりブリッジが切り取られて
痛々しい姿になっていた。これは、消え去る姿を見届けなくてはいけない運命なのか…(泣)という予感がして、以来毎週解体の様子
を見に行くようになってしまった。上のスライドショー画像は、その記録である。
9月2日、再会した羊蹄丸は、煙突や救命ボートは撤去されていて、ブリッジの窓もベニヤ板でふさがれている姿ではあるものの原形をとどめていた。
なんだ…まだあるじゃん…と思ったのはつかの間、翌週にはブリッジが無くなっていた(;゜Д゜)
新居浜で公開されていた時に見に行った。とてもキレイだったのにはびっくりした(^_^;)