北海道2018 その	5 本文へジャンプ



 2022.05.30 舞鶴 → 自宅 (曇/雨)

夜中に何度かトイレで起きたが8時起床。夜中に津軽海峡を抜けるので少しは揺れるかと思ったがそうでもなかったようだ。買っておいたパンで朝食を済ます。今回の船も片側のみの運行となるので10時のすれ違いも無い。ビールを買ってきてこのレポートを打っている。ステートBなので椅子とテーブルが部屋にあるので楽。お昼はセイコーマートで買ってきたカップ麺を食べる。あいかわらずマズシー。それ以外の時間は、ほとんどボーっと寝ころんで体力の回復に努めている。ここで体力を回復するのも大事な仕事の一つ。そして13時半に売店が開くのでビールを買ってきてまたレポートの作成をしている。天気はあいかわらず曇りっぽい。夏なら船内でのイベントもあるのだろうが…閑散期なので全くそれも無い。共用スペースにも人影は少なく静かなものだ。ということで、船内を適当に撮影しておく。この船も2004年就航なので18年目になって老朽化しているが、普通ならそろそろ売り払って新造船を入れるところだろう。が、最近は中古船も売れないので入れ替えも難しいのかもしれない。船内にあるゲームコーナーもレトロ感があふれているが、帰ってから調べると画面に写っていたのは1999年のゲームなので就航当時からあるものだろうが…既に23年前のゲームがまだ稼働しているとは驚きだ。
船は定刻の21時15分に着岸。いつものガソリンスタンドで給油の後、高速を走り始める。いつもは大型バイクなので快調に走り抜けるのだが…軽貨物車なので法定速度で走るのが精一杯。しかも天気がビミョーで時折雨が降るのでペースは遅い。いつもの淡路SAを含め、何度かトイレをしながら無事2時前に自宅に帰着。
道内走行 N−VANが2083km CT−125が1177kmの合計3260km 舞鶴往復を含めたN−VANが2647kmなので総走行距離は合計3824km。無事故無違反無転倒 ノーカッパ(笑)


朝からまったり酒飲んで
レポート作成中

ステートBは
湯沸かしポット付き

お昼はセコマの
カップ麺(マズシー)

ステートBの
526号室

船の先端
フォワードサロン

ステートBは5甲板
(5階)

夕食は三元豚の
トンカツだ

レストランも
ガラガラかも

誰もいない
後部デッキ付近

誰もいない
共用スペース

階段部分
そろそろ老朽化かも

5甲板から
案内所を見下ろす

5甲板
レストランなどのある階

売店と
自販機スペース

ちょっと珍しい
苫小牧−舞鶴航路

案内所のある
4甲板入口付近

記念撮影ポイント
案内所前

自販機スペース
変わらないなぁ…

ゲームコーナーはレトロ
激古ゲーム機多数

売店 クラシックは
売店でしか売ってません

通路風景
意外と長い…

舞鶴下船後
いつものところで給油

淡路SAにて
雨が降ってる

毎度だが…あと少し
がんばろう!



ちょっと珍しいかも 苫小牧 → 舞鶴 航路の軌跡


総括

N−VANにハンターカブを積んでツーリングするということについて。
結論から言うと、北海道には向いてないかも。北海道の場合、バイクツーリングの部分がどうしても距離が長く、制限速度も60km/hのところが多く、巡航速度が高いため小排気量車ではストレスが多い。四国の山の中に持ち込み、ベースキャンプとして近場を走るという使い方の方が向いていると言える。しかし、天気の良い日はバイクで、雨なら車や鉄道で…というのは悪くはなかった。キャンプ(車中泊)を含めて雨の心配が無いのはやはり強い。
N−VAN内での車中泊について、バイクを下ろせば完全にフラットな面にてマットとシュラフが使えるし、何よりもテントより広い室内はゆったりする。が、テントと違うのは暑い場合、網戸的なものが無いため虫が入り放題になる。この対策が必要かも。今回は5月下旬ということで暑くも寒くもなかったので助かった。
今回は、バイクを下ろさない場合にもビバークモードと称して運転席側をフラットっぽくすることで宿泊を可能にした。荷物を少なくしてスペースを確保し、なんとかやりくりをすればフラットなところを作り出せる。が、全てにおいて寸法ギリギリであり、偶然の産物とも言えそうな感じ。寝心地については長さ方向については問題なし。が、運転席を倒してフラット面を確保しているため、背もたれ部分が横方向に湾曲しており、そこに体がぴったり入って半固定っぽくなってしまい寝返りが打ちにくい。あと、バイクのハンドルがちょうど体の真ん中の上空に存在する。圧迫感は無いのだが、起き上がる時にちょうど真ん中の位置なので頭を打ちやすい。これが無ければ空間的には悪く無いのだが。まぁ仕方ない。睡眠的には今回は全て問題は無かったと思う。N−VAN運転時には若干不安定な重量物を積んでいる感はあり、カーブでの減速は必須だし、凸凹通過の時にはかなりゆっくり走らないと危険だ、がまぁストレスになるほどではなかった。モードチェンジだが、朝のシュラフの仕舞いも含み、バイクを積み込んで1時間ほど。テントの撤収だってそれくらいかかるので大きな差は感じなかった。
到着して下ろすだけなら40分くらいあればいける。時間が割とかかるのは、人間の方もモードチェンジでプロテクター装着でライディングジーンズに着替えたりするのに結構な時間がかかるのだ。ということで、問題点も少なく無いのだが、N−VAN+ハンターカブでのツーリングも悪くないという結論だ。雨の日に軟弱になれるのがいいのかもなぁ(歳とったなぁ)。

おまけ 今・昔物語

山越駅

今年、函館本線の駅巡りをしていて立ち寄った山越駅。国道沿いにあって、厠(トイレ)の看板もあるとってもありがたい駅だった。関所風の建物だったのだが、1984年に立ち寄った時には普通の木造駅舎であった。廉価なダルマ駅舎にされず、立派な建物にしてもらっていたのは歴史的に重要な位置だったということなのだろう。当時、どうして寄って写真を撮ったかは忘れてしまったが、単に国道沿いなので見えたから寄ったのか、当時もトイレがしたくて寄ったのかは謎(笑)
滅多に行かない道南なのだが、1984年は行きのフェリーの予約が取れず陸走で行ったので函館上陸だった。


山越駅1984年

山越駅2022年


イクサンダー大沼YH

やっぱり、滅多に行かない道南なのだが、1986年(春)はGWに東北を回り、帰りは函館から小樽まで走って新日本海フェリーに乗って帰ったので大沼に宿泊。当時は陸走で北海道まで走って来たバイクが多く泊まっていたようだ(函館にある北星荘YHは私も冬に列車旅の時に泊まったけどビミョーでしたからねぇ。) 私が江差線廃線前に乗りに行った2013年に通りがかった時に目撃したときは既に廃館だった。いつ廃館したかは不明だがネット検索では2010年の廃館の写真が上がっていた。国道沿いの跨線橋のたもとにあるのでわかりやすい位置にある。現在元オーナーは、イクサンダー大沼カヌーハウスをやっているということがネットにあった。ところで…「イクサンダー」って何だったんだろう???


イクサンダー大沼YH1986年

イクサンダー大沼YH跡2022年


能取湖近くの丘

はっきり言って…最初に北海道に行ったときに「なんとなく撮った」のが起源。国道沿いから分岐したすぐのところにある。以来40年に渡って、通りがかった時になんとなく撮り続けている。今まで購入して北海道に行ったバイクは全て網羅されている。今まで所有して北海道に行ってないのは、原付のNC−50(ロードパル)、MB−50と、弟からもらって通勤に使っていたVTZ250。他の6台は全て北海道に行っている。さすがにGTRは購入してから3年目と新しいからかダート(と言っても立派なフラットダート)に入ってないのが笑える。ちなみに、この直線ダートの先はすぐにL字路で終わっており左に行くと能取湖を見下ろしながら元の国道に合流する。


XL−125R 1982年

CBX−750F 1984年

Degree 1997年

CBR−1000F 2006年

1400GTR 2010年

CT−125 2022年


キムネアップ岬キャンプ場

あまり泊まったことは多くはない。が、近くまで行くことは何度かあったキャンプ場。昔から無料だった。手前に駐車場があって場内乗り入れは禁止だ。昔は水場とトイレくらいしかなく近くに温泉も無いのでファミリーには向かずライダーが多かったような気がする。最近は入口にシャワーが使える施設ができたようだが利用したことはない。夏場に泊まった時に蚊が多かった記憶がある。


1985年夏

1985年冬

2006年

2022年

2022年



二風谷交通公園

ここは94年に宿泊するところがなくてビバークしたところ。国道沿いの広い未舗装駐車場に当時は立派?なトイレと雨がしのげる東屋があって東屋の下にテントを張ってビバークした。北海道では交通公園と言えば、旧国鉄の廃止になった駅などを利用して作られることも多いようだが、ここは富内線とは全く関係ないところなので謎である。ネットで調べても出てこない。公園内に交通安全祈願碑という巨大な石碑があるが…誰か死んで慰霊の碑じゃないだろうなぁ?その後、立派なトイレは朽ち果て、使用禁止になって隣に簡易トイレができていたが…それも朽ちて両方使用禁止状態。東屋も雑草の茂みの中で朽ちかけている。回りに民家もなくいった何のため誰のための公園だったのだろうか?


1994年

2022年



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