北海道2023 その	8 本文へジャンプ



 2023.05.30 札幌 → 小樽 (曇)

朝5時半に起床。外は晴れて天気がよさそうだ。と…今日も期待させられたのだが、実際は曇って寒く、時折小さな水滴が来るという天気の展開になる。エアコンもきちんと効いてビジネスホテル並の快適な宿泊だった。7時前に出発。フロントにお願いしてガレージへのドアの鍵を開けてガレージに入り、外のシャッターを開けてもらう。なかなかの管理なので安心できる。今日の予定はあまり無い。当時は時計台と道庁、札幌テレビ塔に行ったくらいだ。まずは札幌テレビ塔。事前に調べても駐輪が厳しく開店も遅いので写真のみ撮る。当時は登ったはずだがバイクをどこに置いたのか不明。どこだって停められたぬるい時代だから適当に塔の近くに置いたのだろう。次に時計台に行くがまだ開いてない。当時も朝が早かったせいで時計台は開いてなかったので入ってない。時計台は小さいこともあるが、回りがビルで雰囲気全く無いので日本三大ガッカリ名所として有名だ。当時は何に関してもぬるかった時代なのでバイクをどこに停めても大丈夫だったが、今は回りの目が厳しい。カブなので反対車線の歩道まで押して上がり写真撮影。隣にあったトイレは時間外だったので入れない。朝からトイレが異様に近い。近くのセイコーマートに入ったが都会の小さいコンビニはトイレが無い。ナビで検索して大通り公園の一角のトイレに駆け込みなんとかセーフ。続いて道庁だ。旧道庁舎は工事中で本体が覆われていて見ることができなかった。が、覆っている幕に道庁の絵が描かれていて雰囲気だけはわかるようにしていた。さすが観光地だけのことはある。札幌市内は道は広くてゆったりしているが一方通行も多く、大変ややこしい。しかも全く土地勘が無いので最初に来たときは紙の地図を頼りに行動したが、行きたいところにいけずとてもストレスを感じたのを覚えている。特に前日まで信号すら無いような大地を走っていただけにギャップが大き過ぎだったろう。今は、ナビ様の言うとおりに行けばとりあえず問題なく目的地に着けるのでありがたい。もしこれが無かったらどうなっていたことか。少し時間があるので北大のポプラ並木に行ってみる。が、大学構内なので一般車は入れず(きっと当時なら入り放題だろうが)外からの撮影のみになってしまった。歩いてなら入れるので一般観光客なら問題ないはず。ちょうど出勤&登校の時間帯なので市内はどこも人が多い。そして昨日の地下鉄も含め、学生さんなど若者がとても多くてビックリだ。田舎とはココが違うなと思った。そして当時宿泊した札幌宮が丘YHの跡地を探しに行く。ネットで調べたところ、当時の航空写真から場所を推定していたページがあって参考した。すぐ北側が球場など今でも場所が変わってない施設があるので位置関係が簡単にわかる。現在公園になっていて公園内を映しているグーグルのストリートビューで見ても建物の前にあった石積が少し映っている。スマホにGoogle マップを表示して現在地を確認しながら公園内を歩くと、石積みの後がしっかり残っているところに到着。当時のYHの写真を見ても建屋の回りを石積みが囲んでいる様子がわかるので、コレは間違いないだろう。ということで更地になって公園の中でひっそりと存在している痕跡をしみじみと眺める。これで当時泊まったところには全部行けたことになる。別施設として健在が1件、建屋健在が1件、建屋崩壊中が1件、そして残り7件は更地になっていた。天気はどんよりした曇りでツーリング気分どころではない。公園の外に公衆便所があって公園探索のためバイクを停めておけて助かったがトイレも十分ありがたく利用。なぜこんなところにトイレがあるか不明だが、タクシー、トラック、郵便屋さんが利用していたのを目撃。貴重な市街地のトイレなのだろう。近くのセイコーマートで朝食。おにぎりの筋子がなくてガッカリ。天気が良ければもう少し走りたいが、小樽へ向かうことにする。当時はおそらく国道5号線で戻っただろうが、今回は時間がかなりあるので、定山渓の方に回り、さっぽろ湖(ダムの人造湖)を通って小樽へと抜けることにした。定山渓までは結構市街地が続いてびっくりした。札幌に近いこともあって当時から温泉街として有名であり、過去には鉄道すら走っていた地だ。湖は行ったことがあるのだが、ダムには行ったことがなかった。行ったけど、人…ほとんど居なくて閑散としていた。湖を通って小樽へ向かうが、途中高度が少しあがるせいもあって寒い。〜7度程度まで下がった。今日も電熱ベストは当然として薄手のフリースも着ている。そしてトイレが激近で30分に1回くらい行っているのでは?というトイレ各駅停車になっている。あまりにも寒かったので小樽の近くのセイコーマートでコーヒーブレイク。これまたトイレが近い原因になるのだが温かいコーヒーが欲しかった。天気予報では曇りなのだが雨雲レーダーを見ても少し雨雲がある(函館から来たライダーさんは降られたと言ってたし)。時々小粒の水滴がシールドに着く程度なのだがあまり気分は良くない。とりあえず、フェリーターミナルに行って今日の出航を確認。20日には機関トラブルのためか1往復欠航になっているので心配だったのだ。続いて小樽総合博物館に行ってみる。ここは鉄道関係の展示が立派で、以前行った時は閉館まで時間がなかったため急いでしか見てないので、この際ゆっくりと見学しようと思っていた。が、行ってビックリ定休日。仕方ないのでターミナル近くに戻り、隣のかつない臨海公園を見物。現在、ココはキャンプ禁止だが、当時はバイクも公園内に乗り入れてテントを張っていたのだ。少なくとも97年には多くのライダーがテントを張っていた。が、ぬるい時代は終わってキャンプ禁止で閉め出された。港には新潟航路のあざれあが停泊中だった。夕方の17時発の新潟行きだ。お昼になったので近くのセイコーマートにておにぎり×2個の昼食。出航後は遠隔宴会なので、いつもよりさらに軽く済ませておく。天気が悪そうなので、スポット的な激しい雨が来そうなら市内の屋根の下で雨宿りを考えた。が、そういう雨は来ないっぽい感じだったので小樽観光をすることを決めた。小樽には3つの展望台があるので全部行ってみる。まずは、小樽水族館を越えて行ったところにある祝津パノラマ展望台だ。途中の水族館は廃墟かと思われるくらい人がいない。大丈夫なのかココ??続いては展望台ではないが怪しげな竜宮閣跡に行ってみた。小樽は当時はとても栄えていた町であり、地元の有力者と作ったという絶壁に張り付くように建築された竜宮閣という遊園地(料亭、食堂、演劇場、海水浴場)があってオタモイ園地と言われていたという記事を見ていたので行ってみたかった。なんでこんなところにわざわざ作る?というアクセス不便なところの、さらに建築しにくい絶壁に立派な建屋を作ったのか謎だ。確かに見る者を圧倒しそうな謎の竜宮閣だ。現在でも廃墟として残っていたらそれはそれはステキな廃墟となっていたことだろう。戦後、火事で焼失したらしいが残念。現在は崩落の危険があるので立ち入り禁止になっており、そこへ続く石の階段が残っているのが見えるだけ。続き、小樽駅を撮影した後、旭展望台へ。ここも行ったこと無かったけど、ナビがなければ厳しいかも…という観光地とはほど遠いところだった。が、市内はとても良く見えていい感じであった。さきほどの新日本海フェリーのあざれあが停泊中なのが良く見えた。ここの近くの駐車場にもトイレがあったが、昭和40年代の建築であり、男子トイレが懐かしい便器無しのコンクリート壁と溝があるだけの品であった。が、決して廃トイレではない感じであった。当時はチープではあるが、看板やトイレなどレジャーの普及に合わせていろいろ作られたのだろうな、と想像する。今は、マイナーなところに関しては予算が回らず撤去すらされる時代になっている。トイレが近い身としては寂しい時代。続いて、毛無山の展望台。ここは何度か来ている。羊蹄山の方から余市を通らずバイパスして来る道の途中にある。少し市街からは遠いが、高度が高くて広く見ることができる。が、ココもあまり人気が無い。ネタも尽きたのでターミナル近くまで戻り、ガソリン給油の後、大きな商業施設であるイオン小樽に行く。ここで酒のつまみ、明日のパン、昼の麺を買っておく。最後のセイコーマートも寄るが残念ながら筋子のおにぎりは無かった。バイクに積むのが限界と思われる小さい瓶の「めんみ」(←北海道限定の麺出汁)を1本自分へのお土産として買っておく。フェリーターミナルには4時頃到着。でも、既にバイクが2台停まっている。うち1台は阿寒湖のビジネスホテルで一緒だった宮崎の人だった。17時、新潟航路のあざれあが出るのを見てから近くのすき家に行って晩飯。牛丼とサラダと味噌汁の定番である。これで590円はボチボチ。そしてフェリーターミナルに戻る。しばらくすると徳島ナンバーのバイク2台が来たが登別の熊牧場で会った人たちだった。みなさん、5月末までの老人割引を使っている人たちなのでこの便が最終だ。(明日は小樽発が無いので)。必然的にここに集まるのだろう。暇だったので、データのバックアップや掲示板へのUPを済ませておく。今日は寒いので、待合室内で座って待っていた。外は日が暮れるとさらに寒いのでUSB電熱ベストの電池も交換して継続利用。乗船は22時45分。22時半にバイク置き場に戻ると最後尾に知床で会い、根室の宿で一緒だった神戸のビラーゴ400ライダーも来ていた。本日バイクの乗船は私以外12台、うち4名は会ったことのある人なので1/3も知っている人だった(笑) 乗船するとバイクは船の最後尾に入れられると思ったのだが、なぜか3甲板の右舷に並べて置くことになった。混雑時はココなのだがなぜ? 最後尾なら下船は車の前だが、右舷側だと下船は車の後になるので時間的に不利なのでトホホだ。帰りもステートBの個室を利用している、乗船後、荷物を片づけてビールを売店にて買い込んで何でも後方支援部隊の彼とオンライン飲み会である。最後なので画像付きの通信だ。今回は電波を考慮して部屋は船の左舷側をとったおかげか電波の状況が良く2時間半ほど問題なくビデオ通話可能であった。毎度のことながら酔っぱらいの会話だ。乗船前まで確認したところ、パケットの利用量は3GBを少し切るくらい。実質ほとんどが今回の北海道で利用したことになる。先月の繰り越し分を使い切っている。今までなかったことだ。残りが今月分の3GBなので問題なかろう。6月1日になったらまた3GB今月分が来るしね。今回のビデオ通話は2GBほど使っていた。さすがビデオ通話は容量を食う。ということで就寝は2時半くらいになってしまった。疲れているので爆睡。ただしトイレの関係で2時間おきに起きることになる…トホホ。


札幌国際YH受付付近
明るくてキレイ

札幌国際YH入口
目立たなくてわかりにくい

札幌国際YH
ビルの谷間

札幌国際YH
供用スペース

札幌国際YH
まるでビジネスホテル

札幌国際YH
駐輪場 ありがたい

札幌テレビ塔

テレビ塔周辺は…
今は駐輪しにくい感じ

札幌時計台
まだ開店前です

日本三大ガッカリ
名所の一つ??

北海道新聞社が
近くにあった(゚Д゚)

旧道庁は工事中
なんじゃコリャ

旧道庁前にて
こっそり駐輪中

札幌大道り公園
都会のど真ん中にある

公園内のトレイが
とてもありがたい

北大ポプラ並木

札幌駅北側
駅っぽいが…

札幌駅南側
駅とというより百貨店

札幌宮ヶ丘YH跡
石積み発見(゚Д゚)

石積みの奥に
かつてYHの建屋があった

公園内の通路横に
ひっそりと痕跡が…

公園横のトイレ
とても貴重

近くのセコマで
朝食です

定山渓ダム
あまり人はいなかった

サッポロ湖
ダム湖だ

サッポロ湖
昔は工事中だった

サッポロ湖展望台
駐車場(トイレあり)

セイコーマートで
最後の昼食

小樽総合博物館は
休館だった(゚Д゚)

かつない臨海公園
現在キャンプ禁止

小樽フェリーターミナル
あざれあ

最後なので追加で
食べておく

小樽水族館付近
閑散としていた

祝津パノラマ展望台
町から遠くないけど

展望台からの景色
小樽の町は見えない

ホテルもあります
やっているっぽい

水族館が見えます
人影無いような…

オタモイ園地
既に廃道感すら…

竜宮閣への入口
かつてはここから…

行き止まりは
広い空き地になっている

竜宮閣の説明
ちゃんとありました

かつてはこの先の
断崖の上にあった…

小樽のフレームが
ありました

この空き地に食堂
などがあったはず

JR小樽駅
去年も来たな…

旭展望台
標高190m

小樽市街が見える
あざれあも見えた

ありがたいトイレ
だが凄く古い

昭和40年代以前?
古い構造の男子トイレ

毛無山からの
小樽市街眺望

毛無山の
駐車場です

小樽で
北海道最後の給油

小樽のAEONで
船内食を買い込む

夕方先に
新潟航路が出港

小樽フェリーターミナル
見たことあるバイクが…

あざれあ小樽港
離岸中

あざれあ出港
新潟へ

北海道最後の晩餐
すき家の牛丼

フェリー乗り場から
割と近いすき家

はまなす入港
回頭中

はまなす入港
着岸中

今日は私を含めて
13台

小樽港
乗船待ち

少ないのに右舷に
積まれてしまった


 2023.05.31 舞鶴 → 自宅 (晴/曇)

朝6時過ぎに目が覚める。4時間くらいしか寝てないが外も明るいので布団の中で8時過ぎまでまったりする。9時には完全起床で昨日買ったパンを食べる。毎度ながら貧しい食事。昨日書けなかったレポートを作成。10時前には、いつもなら僚船との行き違いのアナウンスがあるのだが、今回は僚船が定期検査のためドック入りして片肺運転なので行き違いは無いとアナウンスがあった。11時頃にビールを1本買って最後の酒盛り。13時前に昨日買った北海道限定のまるちゃん焼きそば弁当ちょい辛を食べる。部屋でお湯も沸かせるのがステートBの良いところ。札幌では食い放題をして食べ過ぎたのでコレくらいがイイところ。お腹は減るのだがダイエット道は厳しいのだ。毎度のことながら、船の中では体力温存に努める。今晩は神戸まで走らないといけないのだ。しかも3時間ちょっとで約140kmを走りきらないと行けないので辛い。下船が遅くなっても辛いし、途中のトイレのロスタイムも辛い。昼からは水分を取るのを控えている。天気は下船時と明日の午前中くらいまでがギリギリ雨ではないという予報だ。神戸1時発の船で帰れれば早朝に高松に着くので幸せだ。乗り遅れると次は6時であり着は11時くらいになるので危険なのだ。しかも、神戸で6時までどこで過ごせば良いのかも大変。かつては岡山まで走れば24時間船があったのに今は航路すら廃止になっている。ハンターカブが150ccであれば、明石大橋や瀬戸大橋だけ高速を使うという手もあるが残念ながら150cc版は出そうにもない。かつては日本の状況を無視した150ccバイクをビミョーな目で見ていたが、四国から海外に出ることを考えればステキな存在だと思うようになった。16時に風呂に入る。混雑してないのでゆっくりと入れるのが良い。17時、レストランがOPENと同時に入る。老人割引の帰着最終便ということもあってか思ったより車の人も乗っていてレストランもそれなりの人出だ。ザンキ定食1200円をいただくが、量質ともビミョーなレベル。せめて800円くらいならいいのだが。昼頃から舞鶴入港は予定より15分早い21時だと言っていたが、直前になってさらに15分早い20時45分とアナウンスがあった。何度もこの航路に乗っているがこれだけの早着は経験が無い。神戸まで時間が無い身としてはありがたい。バイクを停めたところが3甲板の右舷側だった。最後尾の部分であれば最初の下船になるのだが、サイドだと車の下船後になってしまう。台数が少ないときはたいてい後尾のスペースだっただけに、なぜ今回だけサイド側なのか謎。結局、車の下船後になったので下船は21時少し前となった。が、定刻より15分は早いのでラッキーである。今回は時間も無いので下船後写真も撮らず神戸を目指して走り始める。かつて兵庫に住んでいた頃や、行きは国道27号線で西舞鶴に行った後、国道175号線に入り福知山へ。そして国道176号線を使って南下する道を選んでいた。今回は時短を優先してGoogleマップでナビの指示に従う。とんでもない道を選ぶこともあるので怖いのだが、スマホ画面ではよく分からない。西舞鶴から国道27号線を南下して走る。このあたりは比較的町の中であるが夜なので走るペースも高く順調だった。同じ船から下船した大阪ナンバーのアメリカン400ccが先行していたので必死に食らいついて走っていた。おかげでペースが高く安定しているが走りは辛い。綾部付近で国道173号線に分岐する。そして県道59号線へと分岐。そろそろ怪しくなってくるが、比較的良い道でペースも高いまま。そして国道9号線に合流。すぐに県道710号線に分岐する。そろそろ道が怪しくなってきている。さらに県道509号線に分岐した時には、これは四国の険道じゃね?という超怪しい道になってきた。あげくに「通行止め」とあり立ち往生。暗い山の中、小さな画面で迂回路を探すがピンとこない。偶然にも分岐寸前の710号線を少し行ったところにある97号線を使って南下を続けることができた。後から見ると、最初からココに行っとけよの経路だが、Google先生は少しでも近い方を選択するようだ。丹波篠山でも97号線で丹波篠山の町の中に出ることなくバイパスっぽい真南に南下する道を選択して国道176号線に合流。やっとマトモな道に出たと安堵する。安堵もつかの間、藍本駅を過ぎたあたりでまた県道へ分岐。ナビの導くままカブを走らせる。そして国道428号線に合流して南下を続けるが、確かに交通量は少ないがビミョーな道が多い。やっとのことで神戸に近づき、山麓バイパスへ入ることができた。原付は通れないがそれ以上は通行可能だ。しかも、125c以下はお値段10円と爆安。最後トンネルを抜けて新神戸駅の付近に出てくる。ココまで来れば学生時代の生活圏なので道は分かる。最初にナビ様が計算した3時間ちょいの時間通り、神戸フェリーターミナルには12時を少し回ったところで到着。既にフェリーは着岸して積み込みを開始しているところだった。乗船手続きをしても12時15分くらいだったので、かなりの余裕である。乗船は12時半を少し過ぎた頃だった。乗用車は少ないが、意外と車無しでの乗船客が多く、まずはダッシュで手提げ袋を持って船室に行き、寝床をキープ。混み合うほどではないが、自分の好きな場所を選ぶのは重要である。真ん中より端っこを選ぶ。バイクに戻って、ガッツリ寝るためのシュラフとマット、マクラ代わりのカッパを船室へと持っていく。毎度ながら、ここまでガッツリ寝ようとしている人は皆無だ。あっても車の人が毛布を持ち込む程度。昼間よく寝たので眠れないかと思っていたのだが、一気に落ちて、気づいたのは下船の案内のアナウンスの時だった。急ぎトイレをしてシュラフとマットを収納。なんとか下船には遅れることなく甲板へと降りることができた。下船は定刻の5時過ぎだ。天気は気持ちよい晴れだった。昼から雨だというのに朝は良い天気みたいだ。燃費計算のため必要は無いのだがいつものガソリンスタンドで給油し、6時前には無事に自宅に帰着。無事故無違反無転倒2カッパで今回の旅を無事終了。


船内でレポート
打ってます

お昼は貧しく
まるちゃん焼きそば弁当

ステートB 個室
ちらかっている

ステートB 個室
だらけています

5階 ステートB
通路

共用用スペース
人は多くはない

後方のカフェ付近
人はいる

船後方から
天気はとても良い

5階後方 風呂と
レストラン

晩飯は船内で
ザンキ定食1200円

毎度の夕暮れ
いつも期待するけど

水平線には落ちないし
焼けもイマイチ

まもなく着岸
扉が開くのを待つ

下船準備中
降りるのは車の後

3時間で舞鶴から
神戸まで走った

12時過ぎに神戸三宮
に到着です

ジャンボフェリー
深夜便(+500円)

小豆島と区別か?
高松行きの札

老朽船のりつりん2
いつ更新か?

バイクは2台のみ
オバチャン原付

船内でガッツリ寝る
寝袋とマット装備

昔の2等船室っぽい
空いている時は自由で広い

朝5時に高松到着
下船前

帰る前に
最後の給油です

総括

1982年、XL−125Rでユースホステルを10泊使って北海道に行ったツーリングにて北海道にハマり、以後41年間続けている。が、初期の頃から「いつかは最初のツーリングを再度実行したい」と思うようになっていた。2回目からはバイクも一気に大型化して以降、93年のDegree(250)がある以外は1000ccや1400ccという大型バイクで走っている。なのでなかなか最初の125ccという小型バイクでの実行は候補にあがってこなかった。定年退職して時間がある程度取れ、ハンターカブという125ccのバイクを買ったので、以前から眠っていた企画が復活して実行となった。最初は、時代が進んで便利になっているので楽勝だろうと軽く考えてスタートした。が、当初泊まった宿泊施設のユースホステルは衰退しており、当時泊まった10泊の施設は全て無くなっている。できるだけ当時のコースと宿泊した場所に近いところで考えたが、有名観光地などはもうビックリするくらい高価なホテルばかりになっており、当時の貧乏旅行をするのが難しくなっていた。よって、今回はユースホステルだけではなく、民宿、とほ宿、ビジネスホテル、キャンプなどを組み合わせて行うことでなんとかした。当時は怖いモノ知らずだったので良かったが、今は贅沢にもなっているので雨の日どうするかという問題も含めて計画が大変だった。 そして、一番の問題なのが、どうしてこの計画を実行するのか?という理由だ。かなり昔からこの企画をしてみたいと思っていたが、その理由は忘れてしまっていた。やりたいということだけが一人歩きしていた。かつてのツーリングを再現しようと思っても、時代が変わり、施設も変わっているし自然だって同じじゃない。そして北海道の旅人だって今と昔では全く違うし、シーズンも違っている。同じ道を同じ排気量のバイクで、同じ所の宿で…を実行することに意味があるのか?という疑問すらわいてくる。今回走ってみて、当時は何を考えていたのか…と思いながら走ることも多かったが答えは無いというか忘れ去っている。そして、あれから41年もたっているのでその間の人生で余分なことを背負っており、旅の途中でやっぱり行ってみたい寄り道が増えてしまっていた。そんな中途半端な実行ではあったが、知床にて雨宿り中の3人のライダーとの出会いに答えの一つがあった。翌日バラバラの場所で全員に再会してお互いビックリして楽しんでわかったが、当時はこういうことが毎日あたり前にあってそれがとても楽しかった。そういう再会の話も最近はほとんど無かったのだ。が、今回偶然だが、知床にて重なって起こってくれたおかげで思い出すことができた。これだけでも今回の旅の値打ちがあったと感じた。今では行く先々に何があるか知っているが、当時は行く先々全てが知らない所でありそれを探訪して行く楽しみも加えてさらに楽しかったのだろう。今は知らない所に行くにしてもネットで事前調査が詳細にできるが当時はそんなことも無い時代。だが、知らないところに行く楽しみは今以上だったと思う。楽しみも多いが不安も多いはずだが当時は怖いモノ知らずのノーテンキだったような気がする。それが若かった…ということなのだろう。これから先、いつまで行けるかわからないが、初心忘れることなく北海道を探訪して行きたいと思う。(が…不安だらけで保守的になるんだろうなぁ〜(´Д`))


今回の走行軌跡
赤い線が41年前のもので
青い線は番外編や道を間違ったもの

2023年と1982年の比較画像
はこちらへ!!

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